捨てて良かったものベスト3

どうもニアです。

この世にはたくさんの物が溢れかえっています。

現代は消費社会とも形容される世の中で、暇さえあれば広告や宣伝によって購買意欲を煽られる時代です。

しかし、役に立つものもあれば役に立たない物もあるわけで、今回は捨てて良かったと思える役に立たない物を挙げておきたい。

第三位:テレビ

昔からテレビを長時間見ている奴は馬鹿だと思っていました。

テレビなんて芸能界のゴシップネタか自称専門家(笑)の的外れな批評などの低俗な情報しか得られないのに何を毎日そんなに見る必要があるのかと思っていたからです。

私の親は忙しい忙しいとか言いながら毎日6時間くらいはテレビの前でボーっとしてた記憶があります。

ニアは大学入学と同時に1人暮らしを始めましたが、テレビだけは絶対に部屋に置かないことに決めていましたし、今もありません。

あんなものを毎日見ていたら頭が痛くなる。

NHK将棋トーナメントやディスカバリーチャンネル、たまにある名作映画の放送くらいなら見ようかなと思えますが、常日頃垂れ流されている番組は見る価値無し。

そういう「見ても良いかな」というものはネットを漁ればすぐに出てくるのでわざわざテレビを持つのは不要。

テレビは数万円~数十万円する高価な家電ですが、費用対効果でいえば確実にマイナス。

あくまで私にとってではありますが、捨てて良かったというか、そもそも要らないという方が正しいかもしれません。

第二位:見栄

第二位は「見栄」です。

承認欲求と言い換えてもいいかもしれません。

要は「自分を良く見せよう」とか「他人から好かれたい」みたいな気持ちのことです。

見栄とか承認欲求というのは誰しもいつのまにか無意識のうちに持っているものかと思いますが、一体いつ誰に植え付けられたのでしょうか(人間の本能なのかもしれませんね)。

これは私の感覚ですが、自分を立派に見せようとすればするほど、誰かから好かれようとすればするほど、自分を嫌いになっていく気がするんです。

私の中に住む何者かが語りかけてきます。

何をそんなに肩ひじ張って生きていく必要があるんだい?
一体誰の為に生きているんだい?

子供のころから良い大学や良い会社に入るために色々努力してきたわけですが、それらを達成して気付いたのは「見栄のために踊らされていただけ」という事です。

見栄を張れたところでそれが自分の幸せにつながるかといわれたら、それは全くの別問題。

高学歴になることも、大手企業の社員になることも、個人的な幸せとは全く無関係。

世間的に立派であることと、自分自身を誇らしいと思えるかどうかも無関係。

他人から好かれることと、自分を好きになれるかも無関係。

しょせん人生は死ぬまでの暇つぶしに過ぎないのだから、自分が楽しく生きられるかどうか、自分が自分を好きになれるかの方がよっぽど大切なことです。

見栄の為に生きてるんじゃないんだよ

世間的な成功モデルや幸せ像と自分が目指したい生き方は違うのだから、もう見栄の為に振り回されて生きるのは止めにしようと思った次第です。

第一位:人間関係

第一位はやっぱりこれですかね。

これは私の持論ですが、「人間関係は極力減らすべし」というものがあります。

世間的には交友関係が広ければ広いほど良しとされ、社交的な良い人間であるという風潮があるかと思います。

逆に引きこもりや交友関係の狭い人間は「陰キャ」とか「子供部屋おじさん」などの言葉でけなされるのをよく見かけます。

もちろんどんな人であっても多少の人間関係は必要ですが、多すぎるとデメリットしかないと思います。

ゴタゴタに巻きこまれたり、悪口を言われたり、面倒事を押し付けられたりして損しかない。

じゃあいざという時に助けてくれるのかと言われればそんなこともなく、義理を欠く人間は多い。

「あの時は世話になったから、今度はこっちが助ける番だ」なんて殊勝な心掛けを持っている人間はごくごく少数。

大抵は自分が助けてもらったときのことなんて忘れていて、他人が助けを求めているのを見ても面倒くさがる人間が大多数。

加えて「人間は集団になればなるほど一人当たりのIQや労力が下がる」というものがあります。

いわゆるリンゲルマン効果のことです。

人間は群れれば群れるほど個性と能力を失っていくというのは体感的にも学術的にも証明されている事実です。

だからこそ「人間関係というのは必要最小限にとどめるべきであって、いたずらに増やすべきではない」というのが私の持論です。

(だからこそ無職を目指しているという事もあります。)

本当はもっと捨てて良かったものはたくさんあるのですが、今日はこの辺で終わりにします。

以上、捨てて良かったものベスト3でした。

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